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■ 新・日本現代詩文庫1 中原道夫詩集
詩を大衆のもとに返そうとする中原が天性のものとして身に付けているのは詩語のナイーブなことである。言葉の硬質を意図する時、詩はおのずと難解を伴うことになる。詩語との格闘、そして伝達性の確保が成就される時、詩は詩人のみならず大衆にも広く愛される文学になりうることを、中原は知悉しているといえる。 (西岡光秋・解説より)
ISBN4-8120-1332-1 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫2 坂本明子詩集
坂本明子という詩人は、こころにさざ波のような微笑をたたえた詩人であるということである。しずかな感動の味覚を味わわせてくれる詩人といってもよい。現代詩の悪弊は、詩の創意を虚飾の塗装で糊塗する点にあるが、坂本明子は、虚実をもっとも嫌うことにおのれの詩の源流を置いている。詩は感情のひたむきさを本旨とする文学であることを体の芯に植え付けているのが坂本明子という詩人の実相なのである。
直截を忘れ去ったところ、さらに素朴そのものに羞恥を抱くあまりに、現代の詩は心象の表出に戸惑いを抱き、ひいては難解の二文字によって統括される混迷を招来しているといってもよい。坂本明子は率直なテーマの獲得、詩語の役割を早くから自覚してきた詩人である。
(西岡光秋・解説より) ISBN4-8120-1343-7 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫3 高橋英司詩集
自身が感じている稀薄な生存感覚の中で、アイデンティティを確保し、己の存在を証明しようとするメンタリティを、修辞的に、瑞々しく表現しようとした作品集である。 (岩井 哲・解説より) ISBN4-8120-1333-x 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫4 前原正治詩集
ひたすら魂の純化のために、悲しみも怒りも絶望すらも〈自然〉を媒介に喩という美の器に変換してしまう。前原正治さんは、喩の変換律を詩性の内側に秘めた詩人です。「人間も、植物と同じように、花を咲かせることができる。微笑がその一つだ」。前原さんは、日本現代詩で始めて「たましい」の語義を哲学の領域にまで止揚した真性の詩人と言えるでしょう。
(尾花仙朔・解説より) ISBN4-8120-1334-8 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫5 三田 洋 詩集
三田洋詩集『回漕船』四部の第一部「釜の旅」には、母恋の十三篇がある。就中、「母」とそれとはいわずに、肉の母と倚りそうている「回漕船」は、輓近の傑作である。詩人にとりつき、詩人のからだを通過するものに、詩人は耐えて、寡黙に、このように、かろうじて、喩としての言葉を発するほかはないのである。 (及川 均・解説より) ISBN4-8120-1338-0 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫6 本多寿詩集
本多寿の詩の現在形は、「非在」あるいは「無」への新しい彩りにある。無の彩りとは名辞矛盾であるが、矛盾であっても時間的動物であるヒトの知的遺産は、太古からこの無の克服にあったといっても過言ではない。その土地、その時代ごとに、無は多様な煌きを見せてきた。本多詩の果樹園のざわめきも、そのひとつの得難い達成である。(みえのふみあき・解説より)
ISBN4-8120-1339-9 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫7 小島禄琅詩集
小島の詩が、読む者だれもの心に響き、伝わってくるのは、若い頃に培った表現者としての他者に伝えるための修業がなされていたからであろう。彼の詩は彼の生活のある限り止みそうにない。それは小島禄琅にとって生きることが詩そのものであるからである。
(中原道夫・解説より) ISBN4-8120-1340-2 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫8 新編菊田守詩集
菊田さんが小動物の詩を書くのは、小動物と同じ次元の中に生活していて、みまわすと身近に小動物のいる、その小動物への思いやりや、親しい呼びかけをそのまま詩にしているだけだ、と私は思っている。小動物の世界に身を浸し切る、ということは、意志や趣味でできることではない、その人の人柄の本能による営み、つまり少年がそのまま大人になっている、その無垢な心情をもっているかどうかなのである。
(伊藤桂一・菊田さんの世界より) ISBN4-8120-1344-5 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫9 出海溪也詩集
詩人・出海溪也もまた三〇年の歳月を経て復活したのだ。世界を股にかけてきた彼の行動力、変転への創造力、そして彼の清新・鮮烈な批評精神が、塞き止められ淀んでいる、日本の現代詩の停滞に、プルシャンブルーの風を吹かせて、打ち破ってくれるであろう。
(御庄博実・解説より) ISBN4-8120-1345-3 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫10 柴崎聰詩集
柴崎さんの場合は、当然のことながら、キリスト者らしく旧約・新約聖書の随所から取り込んだ映像があって、そのことが詩の厚味にもなり親しさを帯びる効果にもなっている。
全体としては重く暗い映像を好んでいるところは、石原吉郎にも近いのだろう。
(安西均・解説より) ISBN4-8120-1363-01定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫11 相馬大詩集
相馬大という詩人の存在は、だいぶ前からぼくの中には在ったのだが、ぼくと相馬大を決定的に結びつけたのは、詩集『ものに影』である。いや、詩集の中に蠢いていた相馬の「言霊」とぼくの中にある「言霊」が、お互いに呼応しあったのだと言ってよい。感動するということはそういうことだろう。
(中原道夫・解説より) ISBN4-8120-1364-x 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫12 桜井哲夫詩集
桜井哲夫さんにとって故郷津軽は、かけがえのない生地であり、魂の原郷であった。それゆえに桜井さんの魂はそこを基点にして遠くタイに飛び、さらに韓国へ旅立っていくのだった。桜井哲夫さんの詩は人間が生きていくことへの希望を語っている。
(久保田 穣・解説より) ISBN4-8120-1365-8 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫13 新編島田陽子詩集*日本現代詩文庫62島田陽子詩集より再収録
詩集『北摂のうた』のなかの「詩((うた))」と題する詩に、洗濯しているとき、掃除しているとき、次々、とび出してくる蝶、それを紙にピンでとめておいて、あとで見ると、死骸ばかり、というフレーズがある。声のなかに生きていて、文字にすれば死んでしまう、詩の言葉の秘密を語っているが、島田さんが文字遊びの人でなく、生きた言葉を扱う人であることを示している。
裏切られても、裏切られても、きちんと、つじつまを合わせようとする、この詩人の理性が、その詩をも明快にしており、その最もすぐれた結実が、三つの「ことばあそびうた」になっているのではないだろうか。
(杉山平一・解説より) ISBN4-8120-1366-6 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫14 新編真壁仁詩集*日本現代詩文庫14真壁仁詩集より再収録
風土のロマンティシズムと自然の心象的寓意化の先験性の世界といったものからの亘りには、いわば農の民衆の実存はかえってくることはなかったが、日本的近代の戦争と敗戦を生き耐え、苦闘したそのことの受苦的自己束縛を解いての、風土のロマンが文化の根源の官能性と共にあり、また背反しているところの、われわれのいわば叙情の初発すべき地点―時空であり肉体たらざるを得ないところへの、再帰的企てがそこに何よりも現わされていると思う。そして尚、時空そのものの肉体による現在性と根源性の批評的形成は、この詩人の日本近代に生れて生き成した、土着の表現者たる現時の証しとなるものだ。
(黒田喜夫・解説より)ISBN4-8120-1337-2 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫15 南邦和詩集
彼の詩に触れてつくづく思うのは、南邦和のしめした喜怒哀楽のその根底をながれる「喪失者の痛み」という一語である。単なる喪失ではない。突如身に降りかかった余儀ない故郷喪失である。そこには追放という芳しからぬ恥辱までが付着していて、痛みは哀しみと怒りとを生み、怒りはやはり告発の様相を帯びている。
(三木英治・解説より) ISBN4-8120-1384-4 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫16 星雅彦詩集
無頼な青春から出発し、その放浪や疎外に、様々な受難を経験しながら、いま、星雅彦が詩人・美術評論家として、むしろコスモポリタンの営為を泰然とこなしているのは、状況に昂ぶらず、呪縛を離れたこの冷静さのゆえであろう。(石原武・解説より)
ISBN 4-8120-1389-5 C0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫17 井之川巨詩集
井之川の口ひげは、自分の優しさが、「群衆」のだれかれのように不用意に流露して、結果として慰め合うだけの「風景」に化してしまうことへの、反の意思表示なのである。詩人としての違和感の表明なのである。この違和を、低い位置から差違を認識する原基と言い換えてもよかろう。そこに井之川の詩的姿勢の原点がある。(暮尾淳・解説より)

SBN4-8120-1382-8 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫18 新々木島 始詩集
先だって、「植えかえ仕事−−翻訳によせるうた」という、氏の作品を英訳し、まだそらんじられるくらい記憶に鮮やかだ。その大意を、自分流にかいつまんでいうと、「訳せば〈詩〉がやってきて、訳さねば言葉の〈死〉がやってくる、かもしれない」。翻訳者の掟を破り、あえて蛇足を加えてみる。「訳したら〈氏〉という〈師〉がやってきた。〈字〉も〈師〉のうち、〈詩〉のうち」。(アーサー・ビナード・解説より)
一九八一年の『異邦のふるさと』など、海外の詩の紹介も多く、現在和英対訳アンソロジーの計画も進捗させている。評論・書評以外にも小説を書き、『ほんとの誕生日』(一九九三)などの作品集もある。詩精神が希薄になりがちな世紀末の詩界にあって、現実と詩、言葉と心、また描写とうたの接点を木島始は今なお探りつづけ、またその課題を絶えずわれわれに提示してくれている。(津坂治男・解説より)
ISBN 4-8120-1402-6 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫19 小川アンナ詩集
小川アンナさんの世界はその初期の段階からすでに、持って生まれたすぐれた知性と美的感受性の上に、成熟した女性の豊な体験を加えて築かれた認識の深さ、女性性の哲学とも言うべき思考構築の強靭さをみせているが、近年の作品ではとくに「老い」について書かれた言葉の新鮮さと独特の感受性の表現がすばらしい。(新井豊美・解説より)ISBN4-8120-1387-9定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫20 新編 井口克己詩集
井口克己は自らの出生と幼年時代の体験をもとに、夢想と現実を巧みに織りまぜながらイメージを紡ぎ、そのイメージを極限まで切りつめて生と死の輪郭を浮き彫りにする。それはひとつの解答であると同時に問いとなり、今度はその詩と向き合うものが井口詩の最良の読者かどうかを試されることになる。(小川英晴・解説より)
バブル経済の時忘れられていた否定の精神とそこから湧き上がる新しい世界を構想する自由な想像力は現代詩の真髄であり、今まさに求められているだろう。都市文明に対峙し続け、オリジナリティーのエネルギーあふれる詩群を創出してきた井口克己の夢郷は未来の思想と生命に対し貴重な提言に満ちている。(佐川亜紀・解説より)SBN4-8120-1431-X C0192定価:1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫21 新編 滝口雅子詩集*日本現代詩文庫13滝口雅子詩集より再収録一部加筆
「玄界灘/その前にうしろに/故郷はなかった」と言い切るところに、詩人滝口雅子のすがすがしさを覚える。この詩人は朝鮮にあっても、日本的な「家系」形成の場、血縁の情にからんだ「故郷」は自ら拒否して出発したのではなかったか。詩人には自分を絶えず喚び覚ましてくれる始原の空間、ポエジーの根源としての声に、絶えず応えようと対話を志向させるその境域こそ、故郷を超えた原郷であったはずである。(白井知子・解説より) ISBN4-8120-1398-4定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫22 谷 敬詩集
権力に擦り寄る事を嫌う彼の鋭い観察眼と比喩の高度な組み合わせに幾通りものかくされた映像があり、その日常の心のありようによって結ぶ像が変化する。(池澤秀和・解説より)
のちに谷敬が玩具屋を始めたと聞いたとき、わたしはかれが下町の子どもたちの魂の中心に真直ぐに入っていったのを感じた。(高良留美子・解説より)
このような複雑系の複雑の元凶は誰かと問えば、それは谷敬であった。この三十年続いた不思議な集団の中心的人物は(略)この飄々たる谷敬であった。
(中川敏・解説より)

SBN4-8120-1418-2 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫23 福井久子詩集
近刊福井久子の第一詩集『海辺でみる夢』は「季節のなかで」で始まる。
わたしが果物なら時がきて秋の色にそまる/わたしが古い壺ならつなぎ合せもできる/わたしが書物なら読んだのち/押花をひめて本棚に場を与えられよう/わたしが机ならまだ白い紙と心とを支えもできる/わたしが窓なら吹きつのる風はさわやかな誘い/わたしが海なら夏の日に/反射する氷山を腕にふかくかかえる/で/あるなら/待つことはものの叡知/流れを断つやさしさを知らず/わたしのなかに わたしは/暖かにすわっていたであろうが(全行)わたしがと繰り返し、比喩の世界を拡げてみせる。その一つ一つが季節のなかの、つまり青春の日々の恐れと不安と願いと祈りを抱えこんで/略/。そのあと、であるならと続く。であるならわたしはわたしのなかに暖かに座って待っていたであろうか。あきらかにここには世界への懐疑と自己への設問がある。/略/
夢みる海辺から形象の海まで、半世紀書き続けて追ってきた主題のふと傾((かぶ))く姿態がよく見える。回帰の相を示しつつさらにこの詩人は優しく形而上の世界に参入する。(安水稔和・解説より)ISBN4-8120-1419-0 定価:1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫24 森ちふく詩集
森ちふく/著
森ちふくの内奥には、静かに歌い出そうとする母性のたゆたいを豊かにたくわえていて、その内面の蓄積の表出が特色である。詩人として出発した当初から、彼女は、自己の内部に抑制してやまない詩の若さを抱えてきた。たとえば愛を見つめようとする時、森は、愛の正体をいたわりながら、愛の燃焼に優しい眼差しを注ぐ。(西岡光秋・解説より)
ISBN4-8120-1442-5 C-192 定価:1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫25 しま・ようこ詩集
しま・ようこの〈個〉の底への問いは、普遍的な問いだとわたしは思う。男にかぎらず女についても、戦争期にかぎらず現代においても、また他者にかぎらず自分についても、それは問わなければならない問いなのだ。結局最終的な答えは得られず、何本もの補助線を引き、いくつもの仮説を立てるだけに終わるにしても。 (高良留美子・解説より)
SBN4-8120-1427-1 C0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫26 腰原哲朗詩集
追体験をとおして、吉田一穂から高橋玄一郎に繋がる日本の詩のなかの一本の糸を手繰ってはいても、何よりも腰原さん自体がおのれの現実を生きつつたくわえ磨いてきた認識、そして知こそが、腰原さんの詩表現の根幹をなしているものなのではあるまいか。そうした方法意識に立つ詩の構造、創造自体が批評精神の体現ともなっている。(田中清光・解説より)
腰原詩の特色は、無言に限りなく近づこうと圭角に硬く研がれた現代詩の、無機質の難解さにはない。有りがちの欠落や空白やまだるっこい沈黙を、それぞれのことば同士が何とか埋め合い、満たし合い、いのち開きたいと膨らむ詩語自体の、顕花植物のような欲望の自然さにある。(中村義一・解説より)
SBN4-8120-1450-6 C0192 定価1,470円(5%税込)


新・日本現代詩文庫27 金光洋一郎 詩集
金光洋一郎/著
『遅刻常習者』という詩集は金光の得意の語り口で、ユーモラスなどとは言っておれないけれどときにおかしくもあり、痛烈なパンチがある。「鳩だった」には政治だけを責めるのでなく、国民としての内省があって痛みが深い。私は完成度を重視する。金光は絶えず改造と進化を追う。先に「守・破・離」で述べたように、美意識においてもきわめて進歩的で骨太の詩人である。(井奥行彦・解説より)
ISBN4-8120-1439-5 C-0192 定価:1,470円(5%税込) 


■ 新・日本現代詩文庫28 松田幸雄 詩集
松田の詩は清濁併せ呑むなどというダンナ芸を初めから拒否し続けることから成立した。
松田のことばは日常の平明さに割って入り、それを截断し、ことばの磨擦によって傷つきながら自らは硬度の高いポエジーに一種の批評性を伴って立ち現れて来るが、松田の個はその場合でも昂然たる気構えを見せていた。(粒来哲蔵・解説より)
ISBN4-8120-1434-4 定価:1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫29 谷口 謙 詩集
谷口 謙/著
「医は仁なり」という言葉を聞かなくなって幾久しいが、谷口謙は内にその「仁」を秘めた医師である。長い間携わってきた医業と、育んできた詩が醸し出すその風貌からは「徳」のようなものが滲み出ていて、自由奔放に生きてきたぼくは、自ずから襟を正さざるを得なかった。代代医療に生きてきた家系である。
SBN4-8120-1448-4 C-92 定価:1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫30 和田文雄 詩集
和田文雄/著
作者の精神の足場は漢詩の日溜まりの中にあるようだ。深山幽谷の景を歎美するというよりは江南ののどかな風趣を描く南宋画の境地に似ている。おそらくそれは作者の内面に秘められている農の原体験から発した詩観であろう。それが生地への郷愁に収斂せず、日本のそれぞれの風土に向けて拡散したのである。そのとき微かな巡礼の感覚が匂ってくる(松永伍一)
 一種の通過儀礼が一段落したあと彼はようやく外部のものたちと、自分のもっとも深層にある命脈部分と交信をおこなうようになる。外部のもの、あるいは深層のものたちのために自分の詩筆を使う覚悟を決めたのだ。非運の無念さのなかで没したもの、偏見や虐待のなかじっと耐え忍んでいるもの、近代化によって破壊されつくそうとしているもの、まもなく命脈を断とうとしているもの……。(古賀博文)
ISBN4-8120-1496-4 C-0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫31 新編 高田敏子 詩集
*日本現代詩文庫106高田敏子詩集に『その木により』より13編を追加収録
高田 敏子/著
高田敏子は自身の詩業もだが、「野火」に集まった千人近い無垢な詩人たちの養成に奔命し、結局、会員たちの指導に尽瘁して、そのいのちを終えたと思う。これは、カリスマ性のある指導者の宿命で仕方がないが、彼女の挺身的な情熱行動の余韻は、死後もかわらずつづいていて、彼女の衣鉢を継ぐ人たちが、活溌に行動している。(伊藤桂一)
 母にいわせると、詩はやさしくいえば「思い方のゲーム」なのだそうだ。普段の生活の中で出会う様々なものについて楽しい思い方を探すのが詩。詩は価値ある“思い方”をさぐる文学。(中略)思い方の遊びが出来ると、いざ逆境に立っても自分の生き方を支えていけるようになり、生活の味わいを深めることが出来る、と記している。(久富純江)
ISBN4-8120-1484-0 C-0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫32 皆木信昭 詩集
皆木 信昭/著 
 皆木は地域体験を酷に描くけれども教条的でない。また道学者ぶって肯定するのでもない。両者を止揚する哲理にもとづいている。これは決して派手でないけれども、地域の詩の堅実で新しい姿であろう。皆木はそれを故意に演じているのではない。人柄である。皆木の詩は「地域の詩」の典型とも言い得る貴重な示唆を含んでいる。(井奥行彦・解説より)
 本詩集にはひとりの詩人が生涯をかけて書くべき内容とそれに伴う達意の技量があると筆者には思われた。後につづく者たちにとって範とすべきものが多くあり、実際多くのことを教えられた。本詩集は実質的には選集であって、実は選ばれなかった作品といえども素晴らしい作品が多くある。(岡隆夫・解説より)ISBN4−8120−1499−9 定価1,470円
(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫33 千葉 龍 詩集
千葉 龍/著 
 東京 とかいう チュウオウから/金沢 とかいう チホウからさえ/疎外されつづけてきた歴史を背に
息詰め しかも折られることなく/ひたすらに 耐え/孤高を生きてきた/わがふるさと 半島よ
みごと フグリも従え/その全身を 凛と屹立させ/海に突き入る/(「能登半島」より)
 この文庫のこれまでの十一冊の詩集の各詩篇で千葉が主張している根本思想は、本音で詩が表現されているかどうかといった問題である。詩は人の心に巣くう本音を取り出す文学である。ときに激しくときに優しく変化を見せる詩人の一筋の求道は、答えの返ってこない詩の道への確かな歩行を一歩一歩踏みしめることにある。そのことのみに専心する詩魂の歩行にある。(西岡光秋・解説より)
 ぼくらはよく、道端を這って歩く蟻と話をしている幼児を見かけることがある。あるいは、つがいの蝶に手を振る少年の姿を見ることもある。海と話ができ、魚と話ができ、そして落日との会話を希う千葉の感性は、まさに少年のように優しく豊かだ。そして、世俗に染まらないこの優しさと感性は、若くして死んだ母が千葉に残した唯一の贈物であるかもしれない。(中原道夫・解説より)
ISBN4−8120−1536−7 定価1,470円

■ 新・日本現代詩文庫34 新編 佐久間 隆史 詩集
佐久間 隆史/著 
 「生」のおののきは、第二詩集『「黒塚」の梟』に至って、より明確になる。なぜそのようにおののくのか。それはわれわれの存在そのものが、瞬時にして鬼女と化した(地獄と化した)安達が原や、「鳥でもない何か」が木にとまっている「梟」の、そんな不安定な姿と同じように、生もまた不安定なものであり、脆く壊れやすいものだからだ。(内山登美子・解説より)
 佐久間隆史の作品の中における「雪」、そして雪が彩り創造する世界は、実在の雪をこえて、私たちが予感はしていても見ることができない内部の「雪」の実相に直面させてくれる。(冨長覚梁・解説より)
 詩がこれほどに非現実の光景を通して、生の根源の息づかいを体験させてくれるものだろうか。佐久間隆史の詩篇は、限りなくさびしさを紡ぐ生の体温を物語ってやまない。非現実とのめぐりあう触感が、氏の内部で循環し、胸をつかれるような思いの中にかがやく静かな深さを、氏は見きわめようとするのである。(成田敦・解説より) SBN4−8120−1500−6定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫35 長津功三良 詩集
長津 功三良/著 
 少年時代をとおして、長津功三良の内部にある、屈折したヒロシマ体験を了解しておく必要がある。屈折したとは私の主観で、ようするに長津のヒロシマのくくり方である。 あの日、るいるいたる屍で埋まった本川(太田川)を牧歌的な記憶のうちに残して、黒板も椅子もない学校に通った子どもたちの姿こそは、国破れてなかば棄民化された戦後の日本の平和の実体だった。長津もまた生き残ったがゆえに、長寿社会にまみえ臆面もなく生き永らえる破目になったのだが、長津功三良の屈折したヒロシマにもなったのである(と私は思う)。(倉橋健一・解説より)
 時代の巨大な宿命に触発されて立ちあらわれた長津功三良の暗いひかりを放つ眼、つまり人類絶滅の時間と空間の接点をくっきりと刻印された網膜の凄絶なメカニズムはすでにめざましい発達をとげてきたし、これからもかぎりなく進化してゆくのは、とくにかれの体系的詩業の展開をみればはっきりと了解がつく。 本詩集は原爆という稀代の巨悪に鋭い眼を当てつづける異能の詩人長津功三良の全作品のいわばメニューである。(吉川仁・解説より)
ISBN4−8120−1510−3 定価1,470円
(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫36 鈴木 亨 詩集
鈴木 亨/著 
 生まれて 学び 病み/ 怯えつづけた日々の営み/ わたしを囲む十里四方の/ 小さい日本が こがらしに鳴る/ この老残の身には しかし/国という名の重圧も いまは薄らぎ/ときに 異邦人めく幻惑の中で/揺れて そよぐ 〈うたごころ〉よ/(「冬の国」より)
 この詩人にやどった〈詩の志〉は、この人の〈十字架〉だったのだ。自我の意識の芽生えからおさない詩作のたのしみをおぼえ、人は詩の道にはいる。ところがこの詩人にはそういう任意の選択でなく、命ぜられたかたちの道があった。気ままな手すさびとして詩作をしえないとすれば、寡作の理由もおのずから解けようというものである。/(西垣脩「解説」から)
 鈴木さんには、『遊行』『歳月』などのすぐれた詩集がおありですが、最近、『火の家』という詩集を出版なさいました。火宅のことでございますね。お家のなかのごたごた((、、、、))、これまでの鈴木さんなら、きっと避けてお通りになったにちがいない事柄、いわゆるカッコ悪い題材に、この詩集で鈴木さんは、敢然と取り組んでいらっしゃいます。 鈴木さんが居直った! と一読して震えのようなものを感じました。これは愚痴などではなく、文学上のお考えがあってこうした題材に取り組まれたのだ、と。鈴木さんの詩はこれからますますおもしろくなって行く、という予感がしきりにいたします。(新川和江「鈴木亨さん頌」から)
ISBN4−8120−1511−1 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫37 埋田昇二 詩集
埋田昇二/著 
溶けた木のかたち/溶けた灼熱の木のかたちのまま倒れている/生きたまま焼かれて/
もがきのたうちまわったままの/熱い無念のかたち/いまも 苔むした/
時に固執しながらふるえている/痛みが直立したまま/風の抜け穴となって
ひゅうひゅう哭いている   (XXU『富嶽百景』より)
この『富嶽百景』に至っては、抒情の霧を吹き払って思想詩へとむかう、詩意識の確立が明らかで、そのことで、漸く挑むべき時代の相、現代の文明によって〈処刑されている〉精神の自由の現実と、あるいはその構造的な実態と真向かった詩集『富嶽百景』は、自己自身の詩業の行末を惑いながらもそのように定位した、忘れがたい詩集である。(溝口章・解説より)

理由はその存在のみによって、詩を書く者の思いを良心の方向に引き付け、と同時に社会と真っ向から闘うことの勇気を与えてくれる希少な詩人である。本文庫の詩集を読んで、嵯峨信之の哲学、詩法をもっとも忠実に受け継ぎ、それを広く実践しているのは理由であることを確信した。それほど理由は出発から一貫して生と死の意味を追求し続け、さらにそれはこれからも続けられていくのであろう。(中村不二夫・解説より)
ISBN4―8120―1542−1 C0092 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫38 川村慶子 詩集
川村慶子/著
葬列はいつも静かに 徒歩((かち))でやって来た
花や供物の人々を先導に 遺族は紋服の上から
白を着
一般の参列者は黒の紋付・羽織袴であった
坂の頂上付近の火葬場まで一里=四キロ近くを
黙々と歩く
長い葬列も短いのもあったが 出あうと
胸がきゅぅーんとした
(「鳥葬」より)
風土の似合う詩人がいる。詩人が風土を率いてきたのか、風土が詩人の詩を育ててきたのか、両者の合体の象徴として、北国の詩人川村慶子は、長い詩の道をゆっくりと歩んできた。彼女の詩の全体像から伝わってくるのは、春の訪れを告げる北国の流氷のきしみにも似た詩の心音である。川村の背負ってきた風土の冷厳を突き抜ける詩情には、つねに人間の心底に隠されているしずかな心のひびきが、伝わってくるのである。(西岡光秋・解説より)

川村慶子さんは多才な人である。詩の仕事が中核であるが、初期の頃から小説の創作活動や後期の緑の笛豆本の会とのタイアップによるエッセイ集の刊行が、旺盛に行われている。小説集は、『龍神に凝る』、『猫と片栗』、掌小説集『インカの花』など四冊を出版している。小説について言えば、川村さんは初期に創作活動が詩を凌駕した時期があったのではないかと思った程であったと記憶している。(木津川昭夫・解説より)
ISBN4−8120−1566−9 C0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫39 新編 大井康暢 詩集
大井康暢/著 
 足を滑らして地球の裏側に飛び込んで
底なしの桜の木の下に
大きな口をあけて落ちてくるのを
足の墓場が待ち構えている
宇宙を歩く足の墓場があるのだ

音のない地球のへりを縁取る
黒い死んだ空間には
星が輝いていて
ここに足の墓場があるのだと
無数のまばたきをしている
(「足の墓場」より)
利根川堤で髪を乱して川風に吹かれて立っている朔太郎の背後に、詩の使徒として熱烈な使命感を持った大井康暢の飄々とした姿が彷彿として浮かんでくる。
いま、大井康暢、そして私たち昭和の詩人の内部を確固とした足取りで足早に通りすぎて行くこだまが聞こえてくる。その先頭に、詩魂の使徒としての旗を手にした大井康暢のたくましい足音がひびいてくる。(西岡光秋・解説より)

わざわざ遠まわりするような部分から入ったのは、「岩礁」はそういった地域性と、大井さんの存在感を軸にして根をはっているのだということを認識したかったからである。詩人たちの歩いた道は、このような、からみあった時代につながっていた。(高石貴・解説より)
ISBN4―8120―1563―4 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫40 米田栄作 詩集
米田栄作/著
むなしく燃えつきた三角州((デルタ))/瓦礫のくずれに/雨が悔恨をたたきつけ/
悔恨が雨をふらしたとき/いく日かの雨音のなかを/この地にかえってきた永眠よ/
やすらかな荒廃よ/とりのこされた倖せが/かさなりあい 抱きあい/失われた季節を思ったとき/
静脈のよう 地霊のよう/ふたたび 川は流れていた(「川の鎮魂歌」より)
米田さんの言葉で一番頭に残っているのは「私は状況の詩は、ようつくりません」だった。原爆を表現しようとすると、何らかの政治性やメッセージを込めたくなる、というのが普通だろう。米田さんは、あらかじめそれらを排してきた人である。その心の底には、大正リベラリズムの空気を吸った広島の若き芸術家たちの青春があった。(安藤欣賢・解説より)

栄作の戦後の詩的キィワードは「川・デルタ・曼陀羅(祈り)」であったが、ここにきて「碧落」が圧倒的になる。碧落とは元来、青空、遠いところというほどの意味だが、栄作のそれは川底や水底に映っている青空である。栄作は「落ちた青空((、、、、、))」ともいう。「碧落抄」十五篇は愛児哲郎君はじめ、原爆で喪われた人への痛恨の抒情であり、大正末の疾風怒濤からの友人たちへの追憶の抒情である。
これらの詩群は自律した詩的精神とその自在な表現によって果たされている。(深澤忠孝・解説より)
ISBN4−8120−1568−5 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫41 池田瑛子詩集
この詩集の主軸をなすものが「亡母追懐」であることは言うまでもないが(略)、それを通奏低音とし、時に北陸の風土―日本海の波の音をBGMとしての、池田さんの生活感情と心の奥の世界の歌、それがこの詩集だと考えた方がより精確であろうと私は思う。(鎗田清太郎・解説より)
ISBN4-8120-1562-6 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫42 遠藤恒吉 詩集
遠藤恒吉/著
バンザイを
言う余裕があるならば/眼も閉じて死ねたろうに

その暇もなかった/眼を開けたまま/十何万が/どっちを向いても/見えない眼を

開けたままでさ(「眼」より)
これらの詩集、短篇小説集、随筆集の背景を流れているのは、人間遠藤恒吉が自他を包括したペーソスの客観性である。どんな場合にも明るい哀感が漂っている。哀しいことをかなしいままに終わらせない向日性がある。自分をまた他人に対しても絶望を強要しない。だから詩にも小説にも随筆にも救いがある。(西岡光秋・解説より)

技芸天の内からふくれるもの、そのふくれて来るものに、単純を限界に追い詰める詩作の方法を、つかんでおられたかも知れないです。(中村光行・解説より)

私は冒頭に、遠藤さんの詩や会話は、「誰にでも分かるように分からなくしてしまう方法」と書いた。実際私が「敵襲」を初めて読んだときは、何となく読み過ごしていたが、後日「遠藤恒吉氏の世界」を書くために再度読んだとき、このような象徴的方法を持っている遠藤さんに感嘆した。(稲葉嘉和・解説より)

ISBN4−8120−1565−0 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫43 五喜田正巳 詩集
五喜田正巳/著
しらしらと眩しい風景
蚕のように身を透く
不思議な緊張は何だろう
うろうろ歩くと
喉仏やされこうべに似た
死の破片が足につきあたる

砂のコトバは風に研がれ
抒情を寄せつけない
山も川もここではまぼろし
孤島に そぞろ
うら寒い刻がぬけていく
(「砂の島」より)
五喜田正巳と対面していると、超俗の人を思わせる大人の風格とおおきな眼がまず印象に残る。人をじっくりと包み込んでくる不思議な魅力が伝わってくる。それが五喜田正巳の詩人としての全人格を象徴する魅力として、対面する他者の心を引き入れる。(西岡光秋・解説より)

五喜田正巳氏は詩をとおして何を語ろうとしているのか、何も彼も知りながら知らぬ振りをしている方だから、それだけに謎が多く、それがまたわたしたちにとっての魅力でもあると思う。(上山範子・解説より)

ISBN4−8120−1574−X C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫44 森常治 詩集 
大井康暢/著 
 台詞の遊戯でたがいの苛立ちをためしあい
半狂乱の人世をこうして過ごし果てたぼくら
口にしたすべての偽りのことばをここで
もういちど夜霧のように吐いてみたからとて
誓いが崩れるわけでもあるまい
(「埋葬旅行」より)
その少年のような清新な感性、無垢で魅力的な精神世界をどう表現すればいいのだろう。昭和一桁世代という実年齢は拒否され青春の瑞々しさや輝きが変質しないで持続している。森常治氏はまさにそのような稀有な詩人である。わたしの貧しい氏との交流をとおして、いつのまにか形成された人物像だ。個に絶対時間は存在しない、その証左のような詩人でもある。(三田洋・解説より)

人間森常治の最大の魅力は知の巨人が、もっとも知に謙虚であろうとする真摯な姿勢である。
森の詩言語の有り様を特徴づけるのは、返礼詩である。それは一冊の詩集を読み終えて、そこから喚起されるイメージを借りて詩を作るという、いわば吟遊詩人的な〈詩の共同制作〉である。ある意味で、森の記号学の蓄積がもっとも活かされているのは返礼詩の範疇ではないか。それは一見、何の原則もなく無秩序に作られているようだが、そこにこそ森詩学の真骨頂が発揮されているとみてよい。(中村不二夫・解説より)
ISBN4−8120−1583−9 C0192 定価1,470円(5%税込)


■ 新・日本現代詩文庫45 和田英子 詩集
和田英子/著
アケボノ杉が見える/富田砕花旧居である/前の大戦で焼け残った/
屋根のある門は崩れ/くり石を固めた塀崩れ/門につづく物置(現展示場)の/
瓦ずり落ち 壁は損傷している/瓦礫を踏んで庭に入る(「アシヤ便り―震災1」より)
おそらく和田さんは、大状況や大組織がとかく無視しがちな生活の片すみの小さな部分を大切に考えている人なんだろう。それがどの詩にもある作者の行動的な姿勢を、詩の上では静かで構造的な文体にしていると思った。人民詩精神の発現はこういうかたちをとるときにもっとも確かなものになるのである。(小野十三郎・詩集『点景』跋より)

この選詩集を編むにあたって、初期詩篇として、八篇甦らせている。
それらを読むと、和田が定年後に出版した三冊の詩集と通底するものが感じられる。うまく表現できないが、叙景的心情詩とでも言っておこう。それが和田英子という詩人の本質的な資質なのではないか。とりわけ近年の作品群は心情に裏打ちされた叙景詩を方法的にも意図している観がある。(松尾茂夫・解説より)
ISBN4−8120−1594−4 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫46 伊勢田史郎 詩集
伊勢田史郎/著
岩のうえに間断なく落下してくる 水
リズミカルに動く (春鳥←一字)鴒 の 黒く 長い尾
そこで径が尽きていた
領事をしばらく務めたのち
イギリス人のS・F・パードンさんは 神戸大学の教授になって こう言った
どうして 社会主義を擁護しようとしないのですかあなたたちは
湖の面を鉛いろの靄が覆っていた
ぽうぽう ででっぽう ぽう
林のなかでは雉鳩が鳴いていて 枯草を踏みながら誰かが こちらへやって来る
(「ときの絵葉書」より)

伊勢田の交感する神々は本来の仏教や神道の思想そのものではなく、その影響下にはありながらも、この国の民衆が暮らす固有の自然の中で感得した超自然的な土着の神、主として説話や伝承に登場する神々である。そこに伊勢田は独自の詩の世界を構築したのである。
科学の進歩を名目に、合理化や効率化ばかりを追求し、自然破壊を加速させつづけている現代社会の風潮に、伊勢田の詩は厳然と否((ノン))の姿勢を貫いているのである。
先般出版したエッセー集『神戸の詩人たち』は敗戦直後十代で現代詩の文芸復興の波にのめり込んだ伊勢田ならではの文章である。いまや数少ない生き証人としての役割を、今後も期待したいものである。(松尾茂夫・解説より)

ISBN978−4−8120−1585−8 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫47 鈴木満 詩集
鈴木満/著
このあいだ
思いがけず心に会ってきたと
云ってくれた人がいます
そのとき
心は
鳥のかたちをしていたのか
花のかたちをしていたのか
きけなかったのですが
心が生きているのは確かなのです
(「心」より)
はじめに、この世の無常を知ってしまった人間は、その後の人生設計に思いを巡らすことなどできるわけがなく、ひたすら風の吹くまま、気の向くままに漂泊の旅を続けるしかない。おそらく、晩年の鈴木がその答えを芭蕉に見出そうとしたのは想像に難くない。(中村不二夫・解説より)

生憎の闇夜で美しい〈星崎〉の海は見えないが、もしかすると闇の中だからこそ〈千鳥〉の哀切に啼く声が〈存在感をしめし〉聞こえるのではないだろうかと言う千鳥の声に、鈴木さんは〈幻の女〉、つまり死者たちの声を聴いているはずだ。闇夜が死の象徴であるとすれば、死の世界でこそ死者たちの沈黙の声は存在感をもって聞こえるにちがいない。(武子和幸・解説より)

詩人が敢えて地上を旅する者としての姿を詩作に試みているのは、そこを離れ難い責務の重たさがあるからであろう。それも一つの選びであり、思想であると思う。そしてそのまなざしがなぜか西欧を無視しているようにさえ見えるのも、偶然とは思えない。(硲杏子・解説より)
ISBN4−8120−1593−6 C0192 定価1,470円(5%税込)

■新・日本現代詩文庫48 曽根ヨシ 詩集
曽根ヨシ/著
薄紫の蕾の時間
花の降る午後のおだやかなしずけさ
過去かり
今は屋根よりもはるかに高いところで
他人の領地にまで枯葉を降らせる
伐られる樹を
今日はみえなくなるまでみてやる
墨絵になった葉っぱのゆれ
空に消えていく瞬間の
梢の細い一本一本の線を見つづけてやる
(「伐られる樹」より)
まっすぐに正面を向いてうたわれる詩は、ただ正面から受けとめられることを欲する。読者に対する強制においても、また彼女は明確であり、そしてこのことが、彼女の詩が単純であるという批評へもつながる。しかし彼女の詩は、おそらく単純ではない。もし単純だと思わせるものがあるとすれば、それは彼女の思考そのものが持つはっきりした輪郭と向日性のせいである。(石原吉郎・解説より)

第五詩集『伐られる樹』。このレベルに達すると、異性としての私にはそのエロス的情感、子を産み育てるという女性性特有の生理的本能に対峙できる言葉が容易に浮かばない。一つ言えることは、この詩集には曽根さんの師でもある嵯峨信之の詩に見られる生と死、人の魂の永遠への回帰、すなわち形而上的な抒情への強い欲求がみられることである。(中村不二夫・解説より)
ISBN978−4−8120−1605−3 C0192 定価1,470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫49 成田敦 詩集
成田敦/著
さむい夜を
鳥かごの中の闇が
ふいのあたたかさを痛みにせりあげている
啼き声が発酵するのである
その声のあかりは
鳥かごづたいに散乱し
ひときわ歩いているようだ
わたしは力を添えてやりながら
闇にきくのである
(「声あかり」より)

第一詩集『紙の椅子』、第二詩集『水の年輪』、そして第三詩集『ゆめ雪の繭』をあらためて読み直し、いまそれぞれの詩篇が奏でる音楽に酔っている。高まり静まるシンフォニーの深部にある痛覚、成田敦は今日もそこにいる。(石原武・跋より)

そこに生みだされた非在の内部の実存が、詩人の魂をどこまでも高めていくのです。そして、幻覚にも近い夢の中というような境界をとり払って、それらの風景すべてに触覚するように、成田さんは仮構するのです。こうした風景との肉感的な交感が、この詩人の世界の深まりであるとも言えましょう。(冨長覚梁・解説より)
ISBN978−4−8120−1612−1 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫50 ワシオ・トシヒコ 詩集
ワシオ・トシヒコ/著
夕闇が迫る
ホームというかたちがあっても
限りなくホームは遠い
還ることばの場処がない
もう立ち上がれない
気力が戻らない
座ったまま石のように固まる
意志のない石となる
彫刻のポーズとなる
考えるふりして
ロダンとなる
考える人となる
(「考える人」より)
ワシオ・トシヒコの詩は、修辞で飾らない分、明快で、弾力の効いたユーモアがある。心の底から笑ってしまう作品も多い。それは嘲笑ではなく、真剣さの裏返しとしての笑いである。そこには人生の儚さ、懐かしさ、いたらなさがある。詩は詠嘆のなかに幾ばくかの心の闇を秘め、切なく深い。そして誇り高き詩人としての良心が詩にひかりを与えている。(中略)
さて、ワシオ・トシヒコにとって本当の美とは何なのだろう。それはきっとうちなる魂の中にこそあるのだ。それゆえ表皮的美には目もくれず、目の眩むような世界にも惑わされることはない。この詩人はむしろ純朴さのなかにこそ美を見いだし、清貧な生活をこよなく愛する。節度と抑揚、この詩人にはなぜかこの言葉がよく似合う。ときに堰を切ったように自らの思いを噴出させる。詩を書くことの根底には、きっと人には言えぬ憂鬱と深い闇が隠されているものだ。それが今日まで周囲の喧騒からこの詩人を守ってきたに違いない。本物の芸術を知るべくして知り、出逢うべくして出逢う。その積み重ねがワシオ・トシヒコを第一線の美術評論家にしたのであろう。(小川英晴・解説より)
ISBN978−4−8120−1629−9 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫51 高田太郎 詩集
高田太郎/著
〈英霊に対し敬礼!〉
ルソン島サラクサク峠の慰霊碑の前で
陸軍一等兵軍服姿のY氏が絶叫した
碑の頭に止まっていた羽虫が
一瞬たじろぎ身をふるわせた
ナパームで焼きつくされた山肌は
米軍三千、我軍四千余の戦死者を糧にして
深い緑をたたえている
その緑の裾野から子供と犬が動き出した
(「幻日」より)
高田太郎の故郷は、陰の故郷、負の故郷ということができる。竹薮に光る老婆の眼、きつねつきの面相をした女乞食、死児を背負った女、飢餓に慣れた風体をして藪から出てくるわたしの祖先((おや))や縁者、女人の火の玉、茶碗の中の村の地獄絵、死児をあやしながら乳もらいに来た狂女など、村((、))は陰の世界なのだ。こうした説話的な負の世界がこの詩集の魅力である。(菊田守・解説より)

かろうじて人間にとってできることは、過去の罪過を絶対に忘れないこと、それをきちんと未来に伝えていくこと、そのこと以外に方法はない。私はこの素朴なリアリズムこそが、最終的に戦争を食い止める力になりえることを信じて疑わない。そんな期待に応えるかのように高田の詩業は内部のリアリズム、外部の抽象を複眼で同時に探索しながら、徹頭徹尾非戦の意味を探った魂の実践記録とみてよい。(中村不二夫・解説より)
ISBN978−4−8120−1658−9 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫52 『大塚欽一 詩集』
大塚欽一/著

それは一枚の紙である
ひとはそれぞれの生命の軌跡をそこに書き込んでゆく
紙を完全に埋める者は稀である
それゆえひとはその余白に一篇の詩を残して逝く

幼い子の死はそれ自身が哀しい詩である
書き込まれた言葉は僅かである
紙全体が余白のようなものである
残された者はそこにそれぞれの思いを書き入れる
(「人生」より)
錯覚あるいは幻覚を遠ざけて、事実の実体に迫る詩のリゴリズムがここにある。人や事物に対する科学者の分析的な視力と、それをレトリックとして表現しようとする詩人の情感の間には、つねに乖離があるだろう。大塚欽一の形而上詩への道程にはいつもその煩悶があるように思う。(石原武・解説より)

「物語る」とは本来「〈私〉ではない他者との関係へと一歩を踏み出す冒険」を言い表す。しかし大塚の詩はあくまで抒情詩の曖昧性に固執し、魂の独白劇を形成していく。それはむしろ抒情詩の本領であり、そこに問題を指摘するより、抒情詩が初めから胚胎する問題性であるがゆえに、かえって偉大なる抒情詩人を称えて良しとすべきであろう。(川中子義勝・解説より)
ISBN978−4−8120−1671−8 C0192定価1470円(5%税込)

■新・日本現代詩文庫53 『香川紘子詩集』
香川紘子/著
心臓の鼓動のきこえるあたりを
どこまでも どこまでも垂直に掘っていけば
いつかは清冽な水脈にいきつくという信念に賭けて
砂のざらつく唇をかみしめ
わたしはひたすら掘りつづける
時にはげしく水柱の噴きあがることはあっても
なめると それは舌に涙のように辛かった
ああ いつの日か噴きあげる真水を浴びて
わたしは内側からあふれてやまぬ歓喜の噴水と化するのだろうか
(「井戸掘りの唄」より)
ISBN978−4−8120−1675−6C0192 定価1470円(5%税込)

新・日本現代詩文庫54 『井元霧彦詩集』
井元霧彦/著
あなたの父を殺そうと思ったことはいちどもないとあなたは思えるか
河が海のまん中まで流れまだ流れていると思えるか
太陽からもっとも遠い日
わたしたちの夜がとうとう来ましたとあのひとはわたしに言った(「か」より)
 井元さんが「人間の学校」ということに、何年もこだわるのは何故だろうか。私は「学校」というところを、普通に「学び舎」と読みとってもいいのだが、「人間のいるところ」と読むのがいいと思う。「人間の学校」は「人間の人間のいるところ」ということだと思う。そうすれば全ての詩に通徹するところの、井元さんの、人間への「愛」が見えてくると思う。そして、誰の、何らかの「亜流」ではないことばとして「詩」が見えてくると思う。(松尾静明・解説より)
ISBN978−4−8120−1684−8  C0192 定価1470円(5%税込)

■新・日本現代詩文庫55 『高橋次夫詩集』
高橋次夫/著
鴉は
透明な眼玉をむく
ひたすら眼玉をむく
眼玉が渇ききったときに
天を仰いだ咽喉から
血の色になって声が奔り出る
(「鴉の生理」より)
 十一歳の少年がみた北満平原、そしてその原野はるか遠く興安嶺の山容にかかる巨大で真っ赤な落日に、その父のしかばねの裸身がてらされているさまは、六十いく年を閲みしたいまも、生々とした詩的体験となって、新刊詩集『雪一尺』への開花となったのだ。まさに高橋次夫は終らないのである。(小暮克彦・解説より)
 この作品を難解詩と言う者はいないだろう。だが、決して易しい詩ではない。詩句のひとつひとつが読者を立ち止まらせる。そこに充実した意味があるからである。(友枝力・解説より)
孤性の孤は、孤独の孤でもあるし、個性の個にも通じるだろう。孤の究極はつまり、生まれ出るときの個とそして生まれた以上は誰しも必ず行き着くところの死のことでもある。その間の生老病死のさまざまなことどもに遭遇して、人は人としての本当の顔を自ら形づくっていく、高橋次夫はその表わし方を詩作りに求めた、そしてついにここまでやって来た。(松本建彦・解説より)
ISBN978−4−8120−1708−1  C0192 定価1470円(5%税込)

■新・日本現代詩文庫56 『上手宰詩集』
上手宰/著
きみに電話をかけていると 冬が来た
言葉はいつも遅れて役に立たないので
いつものくせでポケットに入れてしまう
ぼくのポケットはだからいつも重く
歩くと夢のようにいい音を響かせる
(「電話」より)
 読んでみればすぐに気付かれると思いますが、詩は、それ自身が、自らの詩行をもって自らを説明しつくしています。これほどに十分に語りつくされた詩、というものをわたしは他に知りません。上手宰が作り上げた、独特な世界です。それはおそらく、上手宰がすぐれた評論の書き手であるということにも、密接に関係しているのだと思います。(松下育男・解説より)
 その出発から、独自な世界、魅力的なポエジーと喩をもって詩を書きはじめた上手宰は、以後もたゆまず詩の螺旋を上りつづけ、レトリックを更新し、さらなる喩の成熟を示しながら、広い場所に出てきたのである。そうした意味において上手は、どこにも似た詩人を探すことのできない、独自な存在なのだと私は思う。(柴田三吉・解説より)
ISBN978−4−8120−1689−3  C0192 定価1470円(5%税込)

■新・日本現代詩文庫57  『網谷厚子詩集』
網谷厚子/著
あたしたちはどこまで/歩いていくのだろう /人工衛星の破片が/驟雨のように襲ってくる
びしびしと/あたしたちは/あたしたちの罪に打たれている/危い/と告げる口さえ
あたしたちはいつの間にか失って/(「アンモナイトの夢」より)
 網谷厚子にとって、その態度は、学部の卒論を書くに当たって、『竹取物語』を題材に選んだところにも表れている。日本人なら誰でも、一度はその話のあらましを読むか聞くかしたことのある世界は、この地球上ではなくて、月に生まれた美女にのみ成立する世界である。つまり網谷にとってその世界は、彼女の詩の成立する世界と、基本的には同一の世界である。(星野徹・解説より)
 明晰な頭脳や才能の持ち主は、そうでない人々にしばしば不寛容であったりするものだが、網谷氏の作品には人間への敬意と愛情が根底に流れている。心優しい彼女が子どもの目線に合わせてかがみ、いたわりながら話しかけているような仕草が伝わってくる。(岡野絵里子・解説より)
ISBN978−4−8120−1710−4  C0192定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫58 『門田照子詩集』
門田照子/著
ブランコに乗るわたし/背中を押して漕いでくれるあなた / 滑り台に登るわたし
腕をさしのべ見上げているあなた / にこやかに凝視められて/恥ずかしさにたじろぐと
宙にすくわれ/わたしは一直線に高みから落ちてしまう (「後ろの崖」より)
門田照子さんの詩集を読んでいると、小説の短篇集を読んでいるような気がする。書かれている内容に惹かれる興味と、詩でありながら散文形の記述に、充分な技術上の工夫が配慮されているからだろう。自分史的テーマへの訴追が、一篇ずつの作品に、それも物語風に凝縮され結晶化している。素直で正直な人生観がうかがわれる。 (伊藤桂一・解説より)
 門田照子の詩の営為が、第一詩集『巡礼』の方言詩を世に問うことから始められているということは、なかなか暗示的である。しかもそれが、同じ九州とはいえ彼女の郷里の博多(福岡)弁でなく、老齢の姑から聴き覚えた豊後(大分)訛で書かれたもので、その老女の語る土地特有の達者な語法を駆使し、時代に密着した女の生活一代を物語った詩集であったことは、彼女の後の詩の在りようを思う上で興味ふかい。(菊地貞三・解説より)
ISBN978−4−8120−1713−5  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫59 『水野ひかる詩集』
水野ひかる/著 
つめたい掌が
わたしを起こした

あれは女の戦いのしるし
渇いた身体をながれるサロメの血のざわめき
凍てついた棘のささった赤い雲
よろこびの地平にむかおうとする
あおい馬のいらだち

わたしの愛が
冬の庭で真空分解する
  「冬の薔薇」

 優しさだけが詩ではない。詩のなかの透徹した醒めた部分を秘めておくことによって、詩人は詩の未知の分野の冒険者になり得るのだ。水野は、その詩の怖さをも味わわせ、堪能させてくれる人間味豊かな詩人である。 (西岡光秋・解説より)
 四国讃岐は、遠島という翳の歴史も抱えている。同時に真言密教の空海や詩人・壺井繁治などが出ている。かれらの一徹さや意地っ張りぶりを、讃岐では、へんこつと呼ぶ。水野ひかるも、へんこつが好きである。水野ひかるの世界は、あえて一言で言えば、習俗的闇と近代的明るさなのだ。 (森田進・解説より)
ISBN978-4-8120-1724-1 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫60 『丸本明子詩集』
藤坂信子/著
ゆすれ
ゆすれ
落ちるぞ
あれは他人さ
あれは私さ

ゆすれ
ゆすれ
面白い
あれは他人さ
あれは私さ
  (「綱渡り」より)

 強大にしてしかも邪悪な力に「圧し潰される」のは、「果実」であるより無名の人びとなのだ、と詩人はそっと暗示する。声高に訴えるのではなく、自らの思いを突き放すように、彼女は簡潔すぎるほど簡潔な、しかも乾いた措辞に終始する。このように一見醒めた筆致であるのに、この底には、父をふくむ親しかった人びとだけではない幾万人の死者への鎮魂の熱い祈りがこめられているので、読者はその真情を行間からそれとなく感得するのである。 (伊勢田史郎・解説より)

 丸本の詩的世界を読み終えて思うのは、モダニズムと一体化した抵抗精神の粘り強さである。その怒りは、あくまで丸本の内面を還流しながら、われわれ読者の前に類稀な前衛言語となって表出されてくる。中期、そのモダニズム語法は主調を変えず、仏教的世界と溶け合い、そこに一つの思想の形を描き出した。そして、後期にはそこでの仏教的世界は、それまでの自我をも解き放ち、ついにそのモダニズムは無我、無私という超越的世界を手にした。そして、さらに驚くべきは、丸本の外部への対峙の仕方で、この点については、恒久平和の願いという姿勢は終始一貫何も変わっていない。 (中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1731-9 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫61 『村永美和子詩集』
村永美和子/著  
○(あな))を 掘った

穴のフチで土にまみれて 日付を焦がし
あの人もこの人も弾けなかった ノド
綴じ糸に声をとられ?
わたし ことば少なに行末にいて

  ……((むむむ))と 昼寝した
  (「夏の頁」より)

 かつてモダニズムの先駆者・北園克衛がスムーズな文学はつまらないといったが、村永もスムーズな詩を敢然と拒否していることだ。北園の言説を踏襲することにおいて頑固であるといわなければならない。 (柴田基孝・解説より)

 あ、ことばの詩人を見いつけた。『おと更紗』を読んでそう思ったとき、わたしは初めて、南九州に住む村永美和子という人の詩に出遇ったのだった。もう三十年近くもむかしのことである。(中略)詩人がことばの人というのは当然のことだが、村永さんのことばには音だけでなく、色や匂いや手触りまでもが渾然として響きあっていたのである。 (樋口伸子・解説より)

 村永美和子はことばが好きである。特に新しいことばが。(中略)ことばを「ひねる」「ずらす」――そうすることで、日常にある隙間を拡大して見せる。関節の動きをぎくしゃくさせて、いままでなかった動きを呼び込む。つまり、意識をめざめさせる。
 村永のことばの特徴はそこにある。 (谷内修三・解説より)
ISBN978-4-8120-1741-8 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫62  『藤坂信子詩集』
藤坂信子/著
激突され/ガラスと石の上に叩きつけられたのが/わたしの持っていた/いちばん善い魂でした/このことを覚えていて欲しい/こぼされた血を見ていた人たちよ(「序詞 覚えていて」より)
 藤坂信子の抒情詩群は、リルケ的世界の弛まぬ探究の上に立った希少な精神世界である。そして、リルケへの文学的な傾倒が、その日常の生き方の隅々にまで波及し、さらにそれが藤坂の信仰という次元まで支えていることに驚かされる。そして、この粘り強い継続の意思が、必然的に戦後抒情詩の復権を促したことは言うまでもない。(中村不二夫・解説より)
 歌には老熟ということがあるが、詩は年齢とともに成熟老熟することが難しい、と読んだことがある。たしかに青春のかがやきと感傷をよく表した詩は多い。比べて老年の詩はそれらに及ばないと頷いたものだが、藤坂信子の詩をこうして見渡すと、反証がここにある、と感じる。
ISBN978−4−8120−49−4  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫63  『門林岩雄詩集』
門林岩雄/著
記憶の木が
まばらに生えている
うすぐらい
そろそろあるく……
しずかだなあ
おれの足音ばかり
  「記憶の森」

 門林岩雄の中には二つの大きな血の流れがある。教師や医師の多い父方の血と、文学愛好家の多い母方の血である。この詩集を読んで感じることは、その二つの血の流れが、ときには一つになり、ときには絡み合い彼の中を流れていることである。知的なもの、常套的なものと、内部から迸るもの、感性に訴えようとするものとが入り乱れてぼくらに話しかけてくる。 (中原道夫・解説より)

 この詩人は、平成三年(一九九一)五十七歳から、詩作をはじめている。詩の出発年齢が、おそかったからか、毎年のように、詩集を出版している情熱的な医師詩人である。それは、詩作品「目」にみる、母と子の愛が生みだしたものであり、詩作品「高みより」の、父の冷静な教育愛から生みだされたものであると、判断できるもののようである。 (相馬 大・解説より)
ISBN978-4-8120-1740-1 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫64  『新編原民喜詩集』
原民喜/著 
碑銘

遠き日の石に刻み
    砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻

 その世界へ、自分もこれから旅立つわけだが、その世界への扉をひらく方法としては、鉄路に横たわって電車に肉体を轢断させるというすさまじい方法をえらんだ。それは、彼が死後の世界で会おうとする人々が、姉や妻だけではなく、原爆で肉体をひき裂かれ悶え死んでいった無数の隣人たちでもあったからである。 (藤島宇内・解説より)

思えば、朝鮮戦争最中の一九五〇年十二月、一篇の詩「家なき子のクリスマス」を親友・長光太に書き送って翌年早春、自死した原民喜の人生は、日本がたどってきた近代戦争の歴史と重なり合う、何とも苛酷な生涯であった。 (海老根勲・解説より)

 戦後早くから原爆告発の詩作品を発表した人たちは多いが、きっちり小説の形で残したのは原民喜が初めてであろう。今回文庫の冒頭に収録した「原爆被災時のノート」は貴重な歴史的資料である。 (長津功三良・解説より)
ISBN978-4-8120-1743-2 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫65 『新編濱口国雄詩集』
濱口国雄/著
罐詰の空罐に石を入れ
春/夏/秋/冬/カンカラ カラロン/カンカラ カラロン
心を振って歩いているのだ/喧しいか (「自画像」)

 彼は今後も労働者階級の中の、もっとも反逆的モラルの詩人として、あくまで自らの革命思想をつらぬき、苛烈な現実変革のたたかいを闘う労働者と共に、たたかう詩人としてありつづけることは確かである。そして彼が私たちの心に残した「便所掃除」の美しい人間のイメージは、階級のたたかいがつづくかぎり私たちの脳裏から去ることはおそらくないに違いない。(中村慎吉・解説より)
濱口にとって「詩」とは、みずからを労働者としてつくりあげる武器だったのである。思想をとぎすますように、かれはことばをみがいてきた。かれは「詩」を書くことによって自己を変革し、現実を認識し、たたかう意志を強め、たたかう方向を見定めてきた。そしてそれを仲間に伝えてきた。語の本来の意味における文学――思想としての文学が、こうしてかれの「詩」を生みだしたのである。(武井昭夫・解説より)
ISBN978−4−8120−1790−6  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫66 『日塔聰詩集』
日塔聰/著
かつて雷の火に搏たれた樹木たちの
空に挙げられた裸の手 手 手……
私は見る 微風に揺れる枝葉のしげりも
ついにその傷口を蔽い切れないのを

地殻の闇はそこに口をひらき
樹液はもはや空に立ち昇るしかない……
いまは熟れ果てて眠りに堕ちる地も
そこだけはつねに生きて眼ざめている
  (「ソネット二」より)

 日塔のソネットは青春や立原道造の影響を超える為の言わば総決算で、星や樹木や花や落日に寄せて、生や死や神を歌う形而上学的な作品である。平易な言葉を用いているのにも拘わらず、その意味は深い。人間存在に対する絶えざる凝視と、天上的神の次元への上昇が、複雑な言葉の屈折をなしており、すでに現代の苦渋の色に染まった作品ということができよう。 (木津川昭夫・解説より)

 貞子の脆弱さに聰のいとしさはつのり、愛を深めていった。残されている一握りの日々。その、いくばくかの日々に、人生をリリーフ(浮彫り)する二人の愛。貞子の脆弱さを愛することは「いわば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまで愉しい日々」(風立ちぬ)を送り得るとも言えた。 (安達 徹・解説より)

 日塔の詩は散文のリズムでは果たせない不可視のものを、魂が感受するサンボリズムによって、遂にこの現実世界に可視のものとして象徴し、神と死の境界まで導こうとする。 (布川 鴇・解説より)
ISBN978-4-8120-1742-5 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫67 『武田弘子詩集』
武田弘子/著
誰かが椅子をゆする
するとそのむこうに海が立ち上がる
それは無数のあおい血管のなかに私を招き寄せる
私の遠い耳を魚たちの澄んだ声に近づける
  (「揺り椅子」より)

 著者の詩のエスプリの根底には一貫したテーマがある。アフリカの女性の詩「黒い女の立像」も女性賛歌であり、女性性の豊饒をうたった秀作となっている。集中の異色の詩としては、「何処へ」を挙げられる。この作品は人間を瞶める透視力が真骨頂を示した作品である。汽車の座席に坐った老婆の形姿と行為を描きながら、老婆の一生を一瞬に凝視してみせる。結末には老婆の姿はなく、秋の日ざしを受けた座席に繭一個が銀色に輝いている、とあり、老婆の存在が繭に変るという象徴性に無限の空間を幻視出来る秀作である。 (木津川昭夫・解説より)

 武田弘子の詩には一貫して内面感情を貴ぶロマンチシズム的要素が色濃い。ロマンチシズムというと、日本では伝統回帰を標榜する「日本浪曼派」に結びつけ考えられてしまう悪しき習慣がある。さらに、もう一つの否定的論拠として、非現実的な空想物語を展開するパターンがあるが、武田のロマンチシズム精神の発露の仕方はこれら二つの傾向とはまったくちがう。強いていえば、武田のそれは北村透谷の内部生命論を源流とする創造的、根源的なものである。 (中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1752-4 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫68 『大石規子詩集』
大石規子/著
あなたの肋骨の一本で/わたしが作られたのなら
もう一本 骨をください / 欲張りな私は
それで 笛を作ります (「骨笛」より)
 古典に裏打ちされた恋唄の美しいたくらみにたっぷりと酔わせながら、女がいちばん美しく重く稔る頃の秘めた恋に揺すぶられていた彼女の唄は、寒冷な海域の中で醒めている眼から紡ぎだされたものだ。
 その眼がなくて創りというものはありえない。半身は暖まらない日陰にいてじっと詩の対象物を観つめる。(中略)たとえ自身が傷ついても、消え入るように許してしまう心は慈母観音でなくてなんだろう。(すみさちこ・解説より)
 ことセクシュアリテについていえば、女でなければ書けない詩があり(百戦錬磨の男手すら「女」の詩を書いて成功した作品は、まれ、もしくは皆無といっていいでしょう。というのも「女」の詩は男の詩でもあるという両義性を備えていますから、男は太刀打ちできない宿命を背負っています)、しかも大石さんのセクシュアリテは、性(さが)のもつ業を業として見据えたうえでの天真爛漫さを表出させたものが多く、そのぶん、うっかり引摺られると怖いような罠も含んでいます。(水橋晋・解説より)
 大石規子という詩人は風貌も言葉もつねにきりりとした輪郭をもっている。内に秘める決意が曖昧な影を掃うのであろう。少女の頃から多くの受難を経験し、苦しみも歓びも、多感に生きてきた来歴がうかがわれる。(石原武・解説より)
ISBN978−4−8120−1754−8  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫69 『吉川仁詩集』
吉川仁/著
苦渋にゆがむ顔は/もとにもどらぬ。
この顔をつけたまま/土中に入る。
あるいは、焔につつまれて
ゆがんだ顔は/まんなかから
みごとに破裂するのだ。(「決死」より)

吉川仁さんの詩は剛直にしてしなやかだ。そのうえ強靭な鋼でつくられた細みの匕首のぶきみさもあるのだ。(中略)かぎりなく硬質で誠実なる詩が、ここに確実に存在している。そして、誰よりもはるかさきを歩いている。(小暮克彦・解説より)
 吉川仁は、日常生活において、無類に善人で世俗的な生き方の下手な人である。よくもまあ大阪で商売人をやっていたなぁ、と言う思いである。私などもお人好しを自認しているが、それよりかけ離れて、既に仏様である。
が、ひとたび筆を執り、詩や散文を書くと、実に先鋭・峻厳である。詩に対峙する精神と姿勢の厳しさに、圧倒され教えられることばかりである。特に傲慢な権力に対峙する時、より一層激しくなる。(長津功三良・解説より)
 吉川仁さんの全詩の底に潜象している殺意のような意識があります。私としてはかなり勁いものだと感じておりますが、これには社会的な背景があり、個人的な抵抗体のような攻撃性があり、詩としてのテロリズムがひそんでいるような気がします。テロリズムというコトバは余り使いたくないので、「個人の意識蜂起」ということにとどめ置きたいのですが、絶望的な思いの果てに、その刃のほこさきは、自己自身に向っているような気がしてならないのです。(長谷川龍生・解説より)
ISBN978−4−8120−1767−8C0192定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫70 『尾世川正明詩集』
尾世川正明/著
妻が苺を呑みこむと / 私は彼女の胃袋を覗きこむ
暗い臓器の奥に赤い実があるのをみて /わけもわからぬ安堵をおぼえ
私も苺をかんだりする (「愛」より)

 得てして詩人は「自分探し」という蜘蛛の巣に捕らわれがちである。しかし尾世川さんは「僕」「私」を極力抑えている。自分探しより他人探しに眼目を置くことが多い。主語が不在なのはそのせいだ。これは「個」からの脱出に他ならない(望月苑巳・解説より)
 尾世川正明の詩は、直接的に現実事象と接点を持ったり、あるいは隠された現実を心理学的に剔抉するという文明批判的な手法をもたない。そこにあるのは、この宇宙全体を組織するものは何か、その自然の一部であるわれわれの生命の根源とは何か、その内実を詩人特有の直感力でポップに表現しようとする鋭い感性である。(中村不二夫・解説より)
ISBN978−4−8120−1783−8  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫71 『岡隆夫詩集』
岡 隆夫/著

ひょいと乗った〈生〉のバス 銘々ボタンを押し/自分のバスストップに降りてゆく
ぼくはいつぼくのボタンを押せばいいのか
いやワンマンが促してくれよう〈終点ですよ〉(「ひょいと」より)

 菅笠冠ってズボンをまくり、百姓踊りを演じてみせる好漢岡隆夫の飄逸さと、俊英な英文学者にしてエミリー・デォキンソン研究で知られるかの古川隆夫教授の重厚さと、どちらがほんものと戸惑うことが、これまで二度三度どころではない。(中略)岡隆夫は詩の芸人のように変幻自在に不毛な情況に踏み込んで行く。篤実なプロフェッサーは時に風刺のマントを翻せずにおれないのだろう。比喩的にいえば、詩人岡隆夫は古川隆夫教授のパラドックスとして規範を意識的に逸脱していく。ニュークリティシズムのセオリーのままに。(石原 武・解説より)
 岡は自分がおこなっている小麦作り、ふどう作り、稲作りをはじめとする農作業に誇りをもっている。他の人が意識していなかった部分にまで目を向けておこなっているという自負が感じられる。(中略)岡の詩は具体的なことを詩いながら実は非常に抽象的な理念のようなものを現そうとしていると思える。詩人である岡隆夫の農業は理想を伴わなくてはならなかったのだ。(瀬崎  祐・解説より)
ISBN978−4−8120−1773−9  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫72 『野仲美弥子詩集』
野仲美弥子/著

大根はかがやき /白菜は茂みの中に
ピストルをかくして待つ  /血と思考を抜かれた魚肉類は
白い皿の上に /ひとびとの嗜好のかたちに横たわってみせる
(「一月の商店街」より)
 女性詩と言えば一般に〈愛〉が主流であるが、その基盤にある家庭を題材としたものは軽く見做されがちだった。それが偏見であることが野仲さんの作品を通読してよくわかる。家という日々の情念の場が理念で詩的発展を遂げていて、日常詩とは似て非なるものである。(こたきこなみ・解説より)
以前から、野仲の詩には特別の興味と期待を抱き続けてきた。野仲の詩のモチーフは人一倍生活に密着した身近なものばかりでありながら、人間の内面を抉り出す詩が多い。その抉り方も、抉る刃物(感性)が鋭いからであろう、発見があり、痛快でもある。読後、その切れの鋭さに堪能しほくそ笑むことしばしばである。(丸地守・解説より)
ISBN978−4−8120−1785−2  C0192定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫73 『葛西洌詩集』
葛西洌/著

真赤な絵具でなぐり描きされた/巨大な鳥のこころを背負いながら/どこまでも歩いてきた。
とどまることを忘れた記憶の鈴を/汗ばんだ手に握りしめて
これからぼくは /約束された一ツの合図を探り出そうとしている。(「帰る」より)
 津軽の地霊と一体化した葛西は、いまもなお〈北〉に向かって成熟しつづけている。その最終的な到達地点がどこになるかは、おそらく詩人自身も含めて誰にもわからない。だが、それが日本現代詩の抒情の極北をめざしていることだけは間違いない。(郷原宏・解説より)
これまで戦後現代詩が目指していたのは、敗戦から安保、東西冷戦の終焉、そして現在のアメリカグローバリズムの支配と、疎外された社会状況からの言語的回復であった。この文庫を通読して、葛西洌もまた、その中心的存在として一翼を担ってきた詩人であることが証明できる。(中村不二夫・解説より)
ISBN978−4−8120−1786−9  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫74 『只松千恵子詩集』
只松千恵子/著

私は待っている/ポトリと白い郵便が/ポストに落ちる音を

私は待っている/胸に棲みついた苦悩を/一瞬の間に洗い流してくれる夕立ちの来ることを
(「待つ」より)

 只松千恵子さんのシルクロードを描く詩篇を前にして、その砂漠の実感のゆたかさときびしさに驚いている。私の場合は戦場の砂漠だったが、只松さんの場合は旅びとの眼でみた砂漠である。しかし、その視線の、なんと透徹した力を持っていることだろう。(伊藤桂一・解説より)
政治家であられた御主人の選挙応援スピーチもこなされた経歴はもとより、世界旅行、紀行など、好奇心いっぱいによる理解の広さを目にする事ができる。そこには、自ずから物語性があり、狭い詩人の観念の先行から広い視野への展開があり、メソメソした女性でなく、果断の断ち切りは男性を思わせる趣きもある。(杉山平一・解説より)
詩集としてあつめられた只松さんの作品の群れは、これを通読するとき、一筋の川の流れを見るが如き豊かな印象、を受ける。この只松川は、自ら流れたいように自由自在に流れて、ほとんど、些事にこだわることがない。(宮澤章二・解説より)
詩人・只松千恵子は、宮沢賢治、ルオーにも似て、生涯かけて作品を手直し続けている。ということは、永遠の未完成こそが、あるいは現在書いている作品こそが作品である。どの詩集も詩集刊行後にもなお手を入れる。だから読者が手に取っているこれらの詩篇は、最新版というわけである。(森田進・解説より)
ISBN978−4−8120−1787−6  C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫75 『鈴木哲雄詩集』
鈴木哲雄/著

樹も/ 叫びたいときはあるのだ/ 歳月の風に/ かたい表皮をめぐらし
内へ内へと蓄えていった/ 沈黙
樹だって / 裂けたいときはあるのだ/ 「樹も」より
 日頃、鈴木哲雄と接している時、怒りや苛立ちの表情を見せることなく、静かな樹木のように自分の立つ位置をいつも心得ているようである。烈しい憤りや嘆きも制御して、些かも素振りに現すことはないが、自分自身の生き方には容赦することはなかった。(中略)この一巻は慰藉の手も届かない痛みに、心血の思惟を傾け、日影月影を踏みながら人間に優しいまなざしを注ぎ、痛みを分かちあえる人に深々と語りかけてくる。(柏木義雄・解説より)
 鈴木哲雄の詩を総括すると、詩人の鋭敏な感性が受難に結びつくことによって、この世に言葉で何か証しを立てようとしているのではないか。思えば、キリストの受難も福音書が作られていなければ、こうして二千年も語り継がれてはいない。さらに、キリスト教を世界に広めたパウロの存在も考えなければならない。同じように、同じように、ここに鈴木が記した空前絶後の魂の記録、これこそ、逆説的に人類の遺産の一つとして後世に語り継がれていかなければならない。(中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1803-3 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫76 『桜井さざえ詩集』
桜井さざえ/著

私は海から生まれた不出来な作品
波打ち際で砂にまみれ 波に打たれていた
こころやさしい一族に拾われ
船に揺すられながら大事に育てられた

潮騒の中から聞こえくる
ひと夜で思いを遂げたなら
貫きなさい 生きなさい ざざくりでありなさい
(「ざざくり」より)

桜井さざえが生木を剥ぐように、開扉する詩世界の現実体は、ヘミングウェイのそれのように、即物的だ。それ故にドライに描かれる事物の相貌は鋭角的な影を抱える。桜井さざえのリアリズムが悲劇的なトーンを響かせるのはそのためだろう。(石原武・解説より)
これは単なる秘境案内ではない。単なるフォークロアではない。詩「帰鳥鼻」に見られるように、詩人はいわば生者と死者を代表して自分たちの郷土を歌い上げているのである。桜井さざえがあってこそ、倉橋島があるのであって、その逆ではないのだ。(神品芳夫・解説)
花をモチーフにした詩を一冊にまとめて出版したい。と聞かされた時、私は一種の戸惑いと危惧を感じた。(中略)しかし、送られてきた校正刷りを読み進むうちに、それは、このひとの詩業を大切に思うあまりの、私の杞憂であることがわかった。題材こそ違え、倉橋島の桜井さざえは、紛れもなくここにもいた。いてくれた。(新川和江・解説より)
この詩集の貴重な証言は、人に故郷という願望がある限り、今後も普遍的な意味を持ち続けていくであろう。おそらく、私たちが最後に帰っていく場所は、人と人が血肉を越え繋がり合っていくという、ここに桜井が現出した世界以外にはない。(中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1814-9 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫77 『森野満之詩集』
森野満之/著
ああ しかし言葉をあやつる者よ
おまえがいるから
景色がよく見えない
おまえがいるから
翻ることができない
いっそのこと舌を抜いてしまおうか
(「軌跡」より)
 旧満州国生まれ。北海道育ちの森野満之に「脱藩」という言葉はそぐわないが、比較のためにあえていえば森野満之は「脱藩者」としての詩人である。「望郷の詩を歌うこと」のできる場にいるのである。(中略)再度あえて言えば、この詩人は片岡文雄の説く「日本列島を貫く在地者による主体の位置確保」という場につながってゆくような詩を書いているのである。(小松弘愛・解説より)
 健やかな健全さが正義感を貫くことだとすれば、市井を生きることこそ難しい。満之は珍しいその人なのである。(中略)森野満之の社会的思念にみちた叙情詩は、謎解きのようにスリリングだ。その底に怒りの眼が光っている。そして間歇泉のように、骨太い風刺精神を噴き上げる。(森田進・解説より)
ISBN978-4-8120-1828-6 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫78 『坂本つや子詩集』
坂本つや子/著
骨組みだけの市電がやってくる 炭化し折り重な
った乗客 運転手は立ったまま焦げ カタカタと
動き 停留所に待っているわたしの前をゆっくり
とすぎてゆく 遠くに幾つもの落雷がある わた
しの乗れる市電はあるのだろうか 広島駅まで歩
くしかないようだ 焦げ臭い道を色々な物や人を
よけながら歩く まだ 朝だというのにこの暗さ
は何?
  (「広島の眠り」より)

 彼女が私たちの詩誌「すてむ」に参加したのは一九九六年の5号からで、『黄土の風』に続いて『焦土の風』を出した後、他誌にも参加しながらやがて『他人の街』に載る詩を書いていた。当時同人の原稿は自筆とワープロが半々だったが、彼女は四百字詰原稿用紙の下に原稿用紙を切って貼って一行三十字の自分の散文詩の書式にして、マジックで楷書で書いていた。今でもそうだ。(中略)
 彼女は相変わらずの書式の原稿を締切前に送ってくる。同人の中でいちばん元気である。
 私たちは坂本つや子に励まされているのだ。 (甲田四郎・解説より)

 「思い切ってあなたの半生を書いたら」と私は勧めた。彼女自身の辛い部分にも触れなければならない執筆は覚悟を決めねば筆をおろせないのは分かっていた。しかし事実が詩を遥かに超えて他者を感動させる場合がある。それが彼女の詩だと思う。(中略)
 詩的な技術も修辞もついに寄せ付けなかった彼女の詩が、太く、まっすぐに私の内へつき進んでくるのにたじろぐ。 (小柳玲子・解説より)
ISBN978-4-8120-1829-3 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫79 『川原よしひさ詩集』
川原よしひさ/著
おまえが どかっと 立ちはだかると
世界が 真っ二つに 分かれてしまう
白と黒のドラマ。
施主は そっけなく いった
白いスクリーンが 光の顔だ
光の背中は 黒いんだよ と。
  (「日影との別れ」より)

 若いころから今日まで、川原よしひさの詩の世界では、かなり頻繁に比喩を使ったり、専門用語を使ったりする試みが見られる。端的に、時に鮮鋭に状況、事物を表現しようとする工夫である。(中略)扱われるテーマは現実の社会状況、環境が多いが、歴史的観察、故郷の家族への思いも少なくない。それは、個人が置かれている状況と時勢の重なりあうところ、当然の成り行きである。それを如何に表現として提示するか、まだまだ仕事は終わっていないようだ。 (中川敏・解説より)

 川原は、一九八六年に秋谷豊の「地球」同人になり、同年「日本社会文学会」にも加わった。筆者も両方に参加していた。詩人・川原よしひさは、戦後民主主義の同行者である。その詩は、社会性と抒情性が微妙なバランスをもって展開されている。現在、フェミニズムの研究と実践に没頭していると聞く。詩が、その成果を見せて、新たに開花してくれることを心から期待する。 (森田進・解説より)
ISBN978-4-8120-1838-5 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫80 『前田 新 詩集』
前田 新 /著
泥の境界線を弦のようにふるわせて
うっとりとかき鳴らす男
彼は俺の奥から
もっそりと雨のコンミューンに現れて
いきなり、熟れたはがね麦を
刈り倒す
  (「愛」より)

 前田新がその背に担っているものとは、〈死者が語りかける村の物語〉を言語化することである。あるいは、彼が主題とするものは、ひとが生きるとき農はどうあるべきかの追求である。彼は、彼とその家族、そして出生以来そこで生き、生涯を終えるであろう会津の自然・風土、なによりも生業としての農、その歴史と現状とをモチーフとして創作する。 (若松丈太郎・解説より)

 かつて農民の前には、幕府、領主、新政府がたちはだかり、彼らの正当な要求を武力で鎮圧していった。一揆から成田闘争、そこにはつねに農民を犠牲にした血腥い階級闘争が繰り広げられてきた。そして、今もなお、日本政府は農民に生活苦を強いて少しも恥じない。前田新の詩的戦略は、時の権力に対しての言語的一揆であり、おそらくそれは死ぬまで続いていくだろう。 (中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1857-6 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫81 『石黒忠詩集』
石黒忠/著

そいつらは
行列を作った
言葉があったわけではない
だが 心はあったかも知れない
でなかったら
希望
(「また みみずが唄う」より)

 なぜいまごろ児戯にも似たようなわたしの安保体験を思い出したかというと、この『文庫詩集』のゲラを読んで、労働現場に一貫して身を置き、そこからの反逆のルサンチマンを詩の言葉の高みへと紡ぐ、詩人としての石黒の自負と不屈の営みに、わたしは圧倒されるものを覚えたからである。そこにはあのときの挫折が(この言葉を石黒は好まないだろうが)、自覚された主体的な熱量に変容して持続されている。(暮尾淳・解説より)
 戦後六十五年が経過して、半世紀以上の時間を要しての編、詩集である。日本の社会状勢、政治状勢は、世界の流れの中にあって経済状勢もわるい。日本人の知力も若い人たちの方から劣化している。国家の行方が目的を喪失して判らない。石黒忠は、明らかに「社会派」である。批判的リアリズムが背骨となり、一本勁く筋が通っている。思想とか、哲学とか、学究的なことを追求しても、生活が困難である。さすれば、どのように、現代文学ないし現代詩の領域をすすめていけばいいのか、ためらいは充分に悟っているだろう。(長谷川龍生・解説より)ISBN978-4-8120-1843-9 C0192定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫82 『壺阪輝代詩集』
壺阪輝代/著

鑿の音がひびく
わたしは彫られる石だ
天の意志の鑿に彫られる石
生まれかわり 死にかわり
いくたびも心ふるわせ
笑い ののしり 憎み
それらは原石となってわたしのなかにある(「石を彫る」より)

 壺阪輝代が遺伝子のありかを探すように〈遡行〉するのは、見失ったものをさがすことであり、自分の影を求めることでもある。自分も変容するように、影も変容する。
 見失ったもの、影絵のようなものをさがすといっても簡単ではない。正体不明のそれらは、自分の手をするりと抜け出し、まるで追いかけっこをしているかのようだ。不安であり、不条理を感じるが、これが生きるということなのだろう。(井上嘉明・解説より)
 壺阪輝代という詩人の魅力は、詩の根源にしっかりと足の親指をつけて詩の風土をときに鋭く、ときに淡淡とうたいきるところにその最大の魅力がある。詩語について固唾をのましてくれるのである。「ふるさとの背中」に風呂焚きをしていた母の背にむかった娘の視線は、〈さびしい島にみえて声をかけられなかった日〉〈母の背はふるさとになりはじめている〉に肉親への深い情愛を読み手に差し出してくれている。(西岡光秋・解説より)
ISBN978-4-8120-1849-1 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫83 『若山紀子詩集』
若山紀子/著
角のおもちゃ屋でピストルを買って空に向って
 ドンドンと打ってやった
そしたら あなたの心が落ちてきた
何て薄っぺらでたよりないのだろう
  (「ピストルへの憧憬」より)

 人間の罪深い手や抱擁の手の、その実存の最も深い乖離や矛盾を描いてきた若山紀子という詩人を想う。
 自虐や加虐の身体性と寓話性を自らのことばで、自分自身に刺し貫くように表現しながら、実は、その歩行者意識には、否応なく、戦渦■禍に追われ恐怖の破片を心に突き刺したまま成長する少女のデフォルメがある。 (麻生直子・解説より)

 この一巻に収められた作品の多くに、漂流する生への不安と、人間でありたいと願う祈りをこめた愁訴が通底して流れている瀬音に読者は共鳴することであろう。と同時に、多彩な想像の世界が慣れ親しんでいる日常風景の皮相を裂き、その陰にひそむ真実がさり気なく呈示されていることに注目するであろう。 (柏木義雄・解説より)
ISBN978-4-8120-1865-1 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫84 『香山雅代詩集』
香山雅代/著

こころの片すみには
絶やすことなく 悲しみの部分
を たくわえておこう
(「世界が円筒にみえたところから」より)

ほぼ同じ世代を生きてきた私など、ひもじい戦中戦後の体験と、その記憶に言葉を奪われ、戦後詩の熱病に冒されるまま、憤怒と悔恨の情念を食いつぶしてきた思いがある。しかし、香山さんにはそれがない。本当に一途に人と事物の存在の本質に、錘を下ろしていく。焼け跡の校舎で耳にした謡曲のあの声の呪力が運命的に道を示したのだろうか。(石原武・解説より)
香山雅代は、詩における精神の核と認識の凝縮性。そこから生ずるところの跳躍やためらい、不安やうつろいを、己れに問いかけ、他者に、あるものの予感を与え、さらに消え、現われては亀裂する内的衝動の表象としてのイマージュと言葉、それらを、受けとめる側にあずけておいて、つぎなる瞬間に自ら立ち会うことの出来る詩人といってよいと思う。(丸地守・解説より)
ISBN978-4-8120-1867-5 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫85 『古田豊治詩集』
古田豊治/著
私はいま
一本の木を植えたばかりです
驟雨に濡れそぼった心のほとりに

という名の
一本の木を
  (「淋しい人に」より)

 古田さんが描く現代の情景は、危機的な情景であるが、決して絶望的なものとして表現はしていない。絶望的に見える状況下におかれても、なおも未知な彼方への方向性を示す。そこにかれの描く作品の特質がみられる。現代の光と影、明るさと闇、過去、現在、未来を確実に見とどけようとしているのではないか、と思われる。 (金子秀夫・解説より)

 氏の作品は、物象からの感動を感性的にこぎれいにまとめるといった類のものとはおよそ縁が遠い。イメージが豊かで、表現は柔軟性に富み心情の屈折が複雑で美しく、ちょっと読んだ目にはその驚くべき内部構造が見失われ勝ちである。また、それを感じさせないところに氏のうまさがある。 (堀口定義・解説より)
ISBN978-4-8120-1859-0 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫86 『福原恒雄詩集』
福原恒雄/著

もうおとなしい屍体ではおれない。きっと
生きている母のために、角の花屋で買って
握りしめていた花束を、記憶を仮装してで
も、探しにでかけなくては。
(「探しにでかけなくては」より)

これまでわたしが感じてきた〈奇妙〉な印象は、おそらくかれ独自のレトリックからやってきている。それは詩においてなにかを表現するための方法ではなく、かれにとっての文体の必然性からやってきた。またそれは、かれが世界をみる思想的な〈斜視〉からきている。ひねくれ、とか意固地ではなく、かれのスタンスが傾いていること――それこそがまっとうな姿なのだ。(坂井信夫・解説より)

いわば福原にとっての詩とは、戦前は被教育者の一人として、戦後は教育を施す側の一人として、こうした歴史の虚構性をつぶさに追体験していくことの意味にほかならない。それは個々の状況に対し、具体的な行動を起こすものでも、内側で何らかの抽象的な答えを出していくものでもなかった。福原の詩の特徴は、つねに外部状況からは孤立したまま放置され続けている。(中村不二夫・解説より)
ISBN978-4-8120-1877-4 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫87『黛元男詩集』
黛元男/著

運転室の
すぐ後ろの座席で
ぼくはノートに詩を書く。
時速一二〇粁で走る電車の中で
ぼくの詩は蛾のように止っているが
車体が揺れるたびにぼくの詩も揺れうごく。
(「運転室後部席にて」より)
 一つは極力短歌的抒情を排して事実に拠ること。もう一つは常に人間優先の視点を持つことなどである。この人間優先の視点は、早くも処女詩集『ぼくらの地方』の序文で小野十三郎が「黛元男の詩精神は、一種のうずきに似た痛覚をもって」「公害(注 四日市公害)のさらにその背後にあるもの、眼かくしされているものを透視」しているとして着目している。この四十年も前に著者が抱いていた「痛覚」がその後の彼の詩の底流となってそれぞれの作品に結晶していったといえる。(田畑實・解説より)
 黛元男の全詩集を読みおえて思うことは、表面柔和な人柄からは想像も出来ない、男性的で硬質なモザイクの結晶である。リアリズムの追求が真実の追求と相まって詩の遊びを封じこみ、余分な無駄な言葉は見出されない。黛はまさに男そのものなのだ。酒が好きで女を抱かずにはいられない。三重詩人では珍しく原始的な酔と愛のロマンチスト詩人である。バッカス的な充満した情感がポエジーとなって発散する羨しい素質がある。(加藤千香子・解説より)
ISBN978-4-8120-1871-2 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫88 『山下静男詩集』
山下静男/著

落ちる物は
無意識のうちに落ちて
ぼくの皮膚は少しも傷付かなかった
落とせといわれた物は
ぼくの内臓がちぎれるようで
しっかりと胸に抱いた
(「落とす物は」より)
夏こそが詩人山下の生の季節なのだ。夏は岡山市の空襲であり、学徒動員であり、学徒兵の訓練であり、血縁の召集と戦死の季節であり、日本の季節なのだ。山下は被害者としての少年であり、良心とも言える妻の責めであり、愛であり、彼女の急逝であり、世界の海を救いもなく浮遊するクジラでもあるのだ。遍路の終着点は夏なのだ。(井奥行彦・解説より)
山下静男さんの詩は、静かな内省の詩だ。他者の言葉や世界の在り様に耳を傾けて、その意味を確かめて、いま自分の置かれている情況の中で、他者との関係を考えている。人を驚かしたり知識を散りばめたりする手法ではないが、その問いかけの仕方は、いつも自己の内部に向けて切実な試みである。(鈴木比佐雄・解説より)
ISBN978-4-8120-1878-1 C0192 定価1470円(5%税込)

■ 新・日本現代詩文庫89 『赤松徳治詩集』 
赤松徳治/著

レントゲンのように
肉をとおして
見えないものに形を与えようとする
愛とは何か
(「閉める」より)

“目には見えないが存在するもの”“形はあるがとらえがたいもの”に心ひかれる、と赤松さんは第四詩集の後記で述べているが、多くの異文化に接しながら、この人の目線はつねに低く、全詩篇、その関心は人間の哀歓の底を流れる“目には見えない”そして“とらえがたい”しかし、“存在する”何か、であることが納得できる。(伊勢田史郎・解説より)

人民と名づけられた国家の人民は、なぜ特権階級に苦しめられるのか。訳詩集を三冊出した氏は、原書に共感したからだ。独ソ戦を取りあげながら、現象として似通った部分を持つ詩は、スターリン体制に対する、メタファーだったとも読めよう。『風を追って*雲を追って』は、訳詩集に通じるテーマがある。
(三宅武・解説より)

■ 新・日本現代詩文庫90 『梶原礼之詩集』 
梶原礼之/著

ぼくを恐れる鈴蘭の娘よ
真珠の胸をした年上の娘よ
燃えつきた石炭がらに湿った生卵をうむな
きみは乳房の網で詩人の真実をねらえ
(「ムササビの羽ばたき」より)

一九三九年、北朝鮮生れの彼と北海道生れの筆者はともに戦後を越後で育ち、精神的に同世代だ。二人の私史は微妙に一致し、またどこか行き違う。彼の詩に同族意識と嫌悪を感じながらも読んでしまう自分を、否定できないのはやむをえない。彼の足跡もまた右往左往しているのだ。
(中略)
梶原は安吾文学に傾倒し、研究もある詩人である。すでに世界の状況に批判の姿勢を貫いてきた彼は個人史及び郷土論をフィクション詩で試みた。彼の二重の故郷意識は複眼的で葛藤そのものである。
幼い時に離れた故郷は黄金郷であるらしい。過去の断片にいま生きる自己を重ね合わせながらつづけた黄金郷探検を彼の詩業とみて差し支えないだろう。黄金の羊毛、聖杯、あるいは聖衣を探す旅に似るのか。言ってしまえば、徒労だ。険しい旅がつづくだけで、ついに見つかりはしない。しかし人生は旅、詩は旅。発見のない黄金郷をあぶり出すために彼は新潟をも否定しつづけねばならなかった。
(経田佑介・解説より)
ISBN978-4-8120-1898-9 C0192  定価1470円(5%税込)
■ 新・日本現代詩文庫91 『前川幸雄詩集』
前川幸雄/著
何もないところに
ポッとともった 一つの明り
それは 温かい命の喜びを
ほのぼのと告げにくる
  (「愛の言葉」より)

 前川君の詩は、君の人がらの表現である。正直な感想をいえば、巧みな詩とはいえない。現代流行の詩風とも無縁である。ただ素朴で、純情で、すなおな感情の流露がある。巧拙をこえて、人の心をうって来るものがある。
 この種の詩にあっては、人間として充実し成長すれば、詩もまた成長するであろう。人格的価値がそのまま芸術的価値であるような詩、すこしのたくらみもない詩、それもまた貴重な一ジャンルである。 (吉田精一・解説より)

 学者と創造者、創造者と学者とは、かならずしも一致しないのが現実の学者のすがたであり、創造者のすがたであるようだ。学問をきわめることも、創造をきわめることも、道は一つではあるがそれぞれにこのうえもなくむずかしい。その至難をあえてつづけてきた前川幸雄の文学に対する真摯な心は、北陸の地を想うたびに、私の胸をうつ。 (西岡光秋・解説より)
ISBN978-4-8120-1911-5 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫92 『なべくらますみ詩集』
なべくらますみ/著
私のために
オカリナを吹いて下さい
絶え間のない暖かい息で
笛を包む大きな手で
私は全身の力を抜いて
正面から
その音を受け入れます
  (「オカリナ」より)

 一箇所に権威を求めるのではなく、旅を続け、流れを生き抜く姿勢はすがすがしい。
 近年、特に顕在化してきた韓国などアジア文化のすばらしい水源を、なべくらますみは早くから感じ取り、紹介しながら、自らもその奔流を体現する詩を書いてきた。多様な文化の波に磨かれた作品たちが実の形もくっきりと艶やかに輝いている。 (佐川亜紀・解説より)

 この詩人が「詩」以外でどのような詞藻を持ち、何をいつ蓄蔵したのであろうかと驚かされる。着目、着想の執着するところはどこに行きつくのかと。
 着実な提起、そして思索と志向が確実にうたい込まれる。あまりにも確実に情景をいいあてているため読んだ者を独り合点させてしまう。それほどの力作というべきものといえる。 (和田文雄・解説より)
ISBN978-4-8120-1913-9 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫93 『津金 充 詩集』
津金 充 /著
雨に降りこめられた夜の中に
いったい何がうごめいている?
お前の首の鎖を
自分で縮めて行けば
こぢんまりと暖かい小屋に
くつろげるではないか
  (「雨の中の犬」より)

 この鮮烈なイメージと思い切った詩風には、どきりとさせられる。一口で言うと、私がよく知る津金さんではない、ある信念を抱えていかなる現実にも立ち向かって行く、誰をも寄せつけぬ「強い男」の確立宣言を感じさせるのだ。 (松本恭輔・解説より)

 何が詩人の中枢にあるのかと言うと、青春期に限定されることのない豊かな感受性のドラマだと言えよう。が、それに忠実なあまり流されていくのではない。たえずこの詩人に襲い掛かってくるドラマを、むしろ理性的に分析することに力が集中する。その拘りが核である。 (森田進・解説より)
ISBN978-4-8120-1916-0 定価:1470円

■ 新・日本現代詩文庫94 『中村泰三詩集』
中村泰三/著
手を見たことがあるか
ほんとうに見たことがあるか
ゆびが生きていて
あたたかくて
あついおもいの血が流れていて
やわらかくて
やさしい心がつたわってくる
  (「手」より)

 中村泰三は、まさに温厚篤実な小児科のお医者さんであり、しかも、真実の世界を見つづける詩人である。その精神の中に、どんな疾風怒濤があったか、深い苦悩とのどんな格闘があったか、自分を巻きこんだ運命に対するどんな激しい怒りや悲しみがあったか、外部から見るかぎり、それらはだれにもわからない。そして、それで充分なのだ。おだやかな心を秘め、ほとんど声を荒くすることもないこの小児科のお医者さんは、おそらく自分自身のいのちの灯が消えるまで、たくさんの生命を救いつづけるだろう。 (宮澤章二・解説より)
ISBN978-4-8120-1923-8 定価:1470円

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