■ 現代詩の新鋭 7詩集 「虚空に繁る木の歌」


前田 利夫/著

線は浮遊して、静物に言葉をあたえる。

逝った父。儚い恋の指紋。泡立つ夢の饒舌。過ぎ去った原色の夏の回想から紡ぎ出された喪失の物語。

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かなしみ

わたしは、かつてみずがない渇いた海原で、
孤独な一匹の幻魚の姿をしていた時に見た、
色とりどりの絵具をすべて混ぜ合わせた、漆黒の夕暮れのなかで、
朦朧として浮き上がる白骨の黄昏と、
共鳴していたかなしみを、無音の慟哭の声を上げて、
今日も抱きしめている。

赤茶けた砂漠の、絶え間なく変わりゆく文様のように、
こころは激しくゆれているが、忽ち、
凡庸に静まりゆく湖面にすがたを変える、
その慌ただしき曲折。
みずうみには、誰にも知られずに、
わたしの許されざる過去が沈んでいるのだろうか。
わたしは、気がつけば、即興的に濃度が決まられている、
気紛れな塩水が溶けているこの乾涸びたこころを、
剃刀で切り裂いているが一滴の血も流れない。
わたしは、ほんとうは、保身の城のなかで、
乾いた涙を流しているのだろうか。
わたしは、絶望する母親のように、血まみれの胎児を抱いて、
強風の吹きすさぶ岸壁の上に佇み茫然としている。
だが、その赤子こそが、自分であることを、
雲に隠れたぼんやりと映る弦月のように、
はっきりと認めようとはしない。
わたしは、偽りの岩なのだろうか。
しかし、冷たい深淵が瞬き、立ち上がる現実を、
すべて口に含み、飲み込んでしまえば、
こころの壁の、涼やかな水底に浸るわたしは、
都会の片隅で口笛を吹きながら、他人の鏡に映る、
自分の青白い顔に、ふてぶてしい薄笑いを浮かべても、
霞みゆく瞳のなかの黒点にある広々とした荒野では、
おのずと熱い溢れる涙が、止めどなく流れ落ちているのだ。
震える頬に。震える口元に。震える手の中に。

今日もわたしは、暗い部屋の片隅で、寂しく
わたしという赤子のかなしみを抱きしめている。


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ISBN978−4−8120−1700−5 C0392 定価1,890円(5%税込)

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